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東京高等裁判所 昭和39年(行コ)54号 判決

控訴人・原告 長谷川よし

訴訟代理人 林百郎 外二名

被控訴人・被告 飯田市長 松井卓治

訴訟代理人 上松貞夫 外一名

主文

原判決を取消す。

控訴人が小栗博の死亡につき昭和三六年八月一六日附を以て被控訴人に対してした公務災害補償審査請求に対し、被控訴人が同年九月一六日にした右死亡につき公務災害補償をしない旨の決定を取消す。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は本件控訴を棄却するとの判決を求めた。

当事者双方の事実の主張、立証及びこれに対する相手方の主張は、控訴代理人において

『水防法第一七条、第三四条に言う水防作業とは、その作業が客観的に見て水防管理者が水防の為やむを得ない必要から水防に従事させた場合のものを言うのであつて、例えば

(イ)  一般住民が水防上何等やむを得ない必要が発生していないに拘らず、全く自己の独断に基づいて水防作業を行つた場合

(ロ)  その作業行為が客観的に見て水防作業として評価し得ない場合

(ハ)  水防作業に関連した行為であつても、殊更指揮者の命令に反抗したり、これを無視して行つたような場合

(ニ)  水防管理者が全くその水防行為を現認しておらず、又行為者の活動を了知してこれに期待するような事もなかつた場合

には或は水防法による水防作業に該当しないとする判断も可能かも知れないが、昭和三六年六月長野県伊那谷一帯を襲つた豪雨では行方不明一六名、重軽傷者三三三名、住居の損壊流失三〇〇ケ所に及ぶ未曾有の災害を生じ、当時飯田市の消防本部職員及び消防団員を併せ一六〇〇人足らずの水防要員だけでは到底対処し得ず、当然大量の住民が水防作業に従事したのであり、小栗博が水防作業に従事していた現場では前年の水害による護岸復旧工事が一部未完成であつて、当時刻々増加して行く水の為決壊に瀕し、これを防止しなければ同市大門町一帯の人家は流失の危険にさらされていたのであつて、原判決も認定している通り、附近の住民が同月二七日午後野底川の増水に伴い堤防決潰を感じ数回に亘つて飯田市消防本部に対し電話で同所附近の危険な状態を伝え消防団員の来援を要請し、あるいは水防資器材の供与を求め、これに対し消防本部からは事情を了解した旨及び消防団員は多忙で現場へ行くことができない、資材を供与するが手が足りないから取りに来てくれと回答があり、小栗博をも含め、附近の住民は自動車等によつて石材や蛇籠を運搬し、これを以て決潰個所を補修し、或は木流しをするなど自発的に水防作業に従事し、又消防分団長、消防団員も住民と共に水防作業に従事したのであり、このような場合に水防法第三四条を適用し得ないとすれば、水害地域の住民は本来義務のない水防作業を自治体に代行して行つた上、それによつて死亡しても救済からは除外されるという二重の不利益を受けることとなるべく、そうすれば水防法はそれ自体国民を欺したものであつて、憲法第一三条及び第九二条に違反する結果となるべく、このような解釈は到底許されるべきではない。

前記の通り消防本部から住民に対し消防団員が多忙で現場へ行くことができない、資材は供与するが手が足りないから取りに来てくれと回答した事実、乙第二号証にも掲げられてある通り近藤消防分団長が水害のあつた個々の場所では地元の人々に出てくれと言つたことがあるという事実は水防法第一七条にいわゆるやむを得ない必要により水防に従事させた場合に該当するものと解すべきであり、それ以上に被控訴人の主張するような書面又は口頭による水防従事命令なる特別の命令は不必要と解すべきである。』

と述べ、立証として甲第六及び第七号証(いずれも写)、第八号証の一乃至八を提出し、当審証人藤井栄吉の証言を援用し、乙第一三号証の一乃至三、第一四及び第一五号証の各成立を認め、

被控訴代理人において、

『水防法第一七条は「水防に従事させることができる」権限を有する者を「水防管理者、水防団長及び消防機関の長」に限定し、且右権限行使の場合を「水防のためやむを得ない必要があるとき」に限定している。右権限はこれに対応する水防作業従事義務の存在を前提としていることは明らかであり、この義務違背に対しては軽犯罪法第一条第八号により処罰し得ることになつている(但し右以外に右義務の履行につき法律上強制執行の方法はない)。即ち前記権限の発動により新たに公法上の義務を課することになるのであるから、右権限の発動は特別の命令を以てすることが必要であり、水害の状態の自然的推移に伴つて当然発動されるものでもなければ、自然的な水防作業を黙認していることによつて発動されているとみなし得るものでもない。右命令は本件のような水害の場合では前記権限のある者からの書面又は口頭による水防作業に従事せよとの命令である。

尚任意の労役負担が強制によるそれと同一に取扱われるのは例えば水難救護法第二〇条に「市町村長が水難の救護を行う場合に、その招集を待たずに救護に従事した者は、招集によつて救護に従事した者と同一に取扱う」と規定されてあるように、法律に明文のある場合に限るのであつて、このような明文の規定のない水防法では任意の労役負担による災害を強制によるそれと同一に扱うことは許されない。

本件水害に際し水防作業に従事した住民が大量であつたこと、及び飯田市大門町附近一帯の人家が流失の危険にさらされたことを否認する。』

と述べ、立証として乙第一三号証の一、二、三、第一四及び第一五号証を提出し、甲第六及び第七号証の原本の存在及び成立を認める甲第八号証の一乃至八の成立を認める、と述べ

た外、原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

理由

原判決事実摘示の控訴人の請求原因(一)の事実は被控訴人の認めるところであつて、当裁判所もまた原審と同じく

「昭和三六年六月二七日午後岡島初美等本件事故現場附近の住民が野底川の増水に伴い堤防決潰の危険を感じ、数回に亘つて飯田市消防本部に対し電話で同町附近の危険な状況を伝え、消防団員の来援を要請し、あるいは水防資器材の供与を求めたところ、右消防本部からは回答として事情を了解した旨及び消防団員は多忙で現場へ行くことができない、資材は供与するが手が足りないから取りに来てくれと伝えた。」

「本件事故現場は飯田市西北端に近い野底川沿岸の野底橋の西方にあり、同市水防計画によれば、橋北地区内にあつて、消防団第二分団の分担地区に該当する。同分団は二班に分れ、第一班は右橋北地区を、第二班は上飯田東野地区を各分担し、近藤勇分団長及び鈴木副分団長が指揮の任に当つた。本件事故発生の前日同月二七日飯田市方面では朝からの異常な集中豪雨により天龍川水系の各河水が急激に増水を始め、各所の堤防が決潰の危険にさらされたので、同市水防本部は同日午前一一時半頃同市水防団に対し第二配備態勢(必要に応じ何時でも水防活動できる態勢)を指令し、消防団員の待機を命じ、続いて同市消防団本部は傘下各消防分団に急拠非常召集を発令し、第二分団長近藤勇もこれに応じ直ちに第二分団員を召集し、自らは第二班を指揮し、第一班は鈴木副分団長をしてその指揮に当らせ、管下各危険箇所の水防作業に当らせた。当日管下の野底川流域は各所が危険にさらされ、同日午後一時頃から本件現場の外、その下流の伝馬井取入口、小伝馬橋、富士橋、加賀沢橋その他数カ所において堤防決潰の恐れが生じ、第二分団に対しては各所から消防団出動の要請が続いた。しかし同分団員の内当時の実動人員は約五〇名に過ぎず、そして前記危険箇所の内本件事故現場の下流約一五〇メートル附近にある伝馬井取入口周辺は早くから増水による危険が予測され、午後二時半頃には決潰し、次で下流の前記各橋の附近が危険となつたので、消防団員の主力は右地区及び下流の地域に集中して水防作業に従事し、本件事故現場には消防団員が応援に行くことができなかつた。同日午後三時頃になると増水は益々激しさを加え、危険な地域に自宅のある消防団員は各自の自宅が案ぜられ、自然各自の自宅附近の水防に従事するようになり、第二班の機関班長として消防車の運転の任にあつた大倉健司も自宅が野底橋附近にあつたので自宅附近の安否を気使い、その頃近藤分団長の了承を得た上野底橋附近に行つた。一方本件事故現場附近は野底橋より三~四メートル下段にあつて野底橋の西側右岸の堤防に沿い、西より前田重五郎の居宅と金山広司の経営する製綿工場及び同人所有の倉庫があり、同所附近は午後二時頃から増水し始め右両建物の中間に当る護岸工事の施されていない箇所が次第に侵蝕されるなど危険な状態となつたので、前記の通り附近の住民が消防本部に対し数回に亘つて電話で消防団の出動及び水防資器材の供与を要請したけれども、消防本部からの回答が前記の通りであつて、消防団員の出動を期待できなかつたので、前記金山始め金山製綿所の従業員及び附近の住民は自動車等によつて石材や蛇籠を運搬し、これを以て決潰箇所を補修し、或は木流しをするなど自分等で水防作業に従事した。小栗博は当時宿直員として金山製綿所の建物内に居住していたので右建物の危険を感じるや兄小栗猛の応援を得て同製綿所の従業員と共に同所附近の水防作業に従事していた。このような状態下に前記の通り大倉健司が来たので、同所で水防作業に従事していた住民の一人なる熊崎藤市が大倉に対し消防団員の応援と資材の供与を重ねて要請したが、大倉は消防団員の余裕がないことを熟知していたので、団員は下流の小伝馬橋、加賀沢橋の水防で手一杯で本件事故現場附近には来られないが、資材は何とか調達すべき旨答え、自ら消防署と連絡をとり、消防署の倉庫へ往復して資材を運搬し、午後八時頃からは前記住民達と共に金山製綿所附近で蛇籠への石詰め等を手伝い、水防作業に従事した。この間近藤分団長は下流において第二班を指揮すると共に管下各所の水防作業を巡視し、午後三時及び同六時頃の二回野底橋附近を通りかかつたが、その都度附近住民が水防作業に従事するのを認めただけで特段の指示をせずに去つた。このように本件現場附近では一〇数名の住民達が以後深夜に至るまで水防に当つたが、午後一一時頃には一同疲労したのと水勢もやや小康を保つかに見えたので、一同の中心となつていた前記熊崎藤市は一同に対し自宅へ引揚げて待機するように呼びかけ、大多数の者は一たん作業現場を引揚げた。しかし小栗博外金山製綿所の従業員等数名はその後も作業を続け翌二八日午前〇時三〇分頃に至つたところ、突然上流から堰を切つて流下したいわゆる鉄砲水の来襲を受け、博は製綿所の従業員等と共に濁流に呑まれて死亡した。」

という事実を認定するが、その理由は原判決に記載してあるのと同一であるから、この点の原判決の理由を引用する。

そして当裁判所も飯田市では水防法第一七条により当該水防管理団体の区域内に居住する者、水防の現場にある者等をして水防に従事させる(本件当事者のいわゆる水防従事命令を行う)権限を有する者が飯田市長と飯田市消防長の両者に限られるところ、この権限は緊急やむを得ない特別の場合に水防に従事する職員を指揮する権限を有する者に代理行使が許されるものと解するが、その理由も又原判決に記載してあるのと同一であるから、この点に関する原判決の理由をも引用する。

原審証人横田一夫及び山口又蔵の各証言によれば、昭和三六年六月二七日に飯田市の消防長なる山口又蔵は午後二時頃から同市の災害対策本部に赴き消防本部におらず、以後は当時消防長を代理する権限を有していた警防部長の横田一男が同市水防団の全体に対する総括的な指揮に当り、第二分団に対する前記の出動命令も同人から発せられたこと、前記野底橋附近の住民からの消防本部に対する要請の内少くとも資器材貸与の申入のあるものは横田警防部長に於てこれを了知し、右要請に応じて部下の職員に命じて蛇籠等の資器材を倉庫より出させ、これを右住民に提供し、これ等資器材が野底橋附近の本件現場で使用されたこと、等の事実が認められこの認定を動かすべき資料は存しない。そして成立に争のない乙第五号証に掲げられた飯田市消防本部の飯田市水防計画では、水防の資器材は水防倉庫に納め、水防その他非常の為これを使用するには予め水防長の許可を受けることを要し、許可を受けるいとまのない場合は使用後速かに水防長に報告しなければならないことと定められていることが認められ、この事を考慮して横田警防部長が前記の通り本件現場附近の住民に資器材を提供した事実を見れば、この事実は前記の通り消防長を代理して水防の総指揮に当つていた同部長において右緊急の事態に対し住民をして右資器材を使用して水防作業に従事させることの必要を認めて、右作業に従事することを命じたか、或はそこまで至らなかつたとしても少くもこれを容認したに外ならないと解さざるを得ない。右横田一男証人は本件現場の水防作業が消防本部の要請に基づかず、地元民の任意により行われたと証言しているけれども、以上認定の資料に照らし、この証言は採用し難い。そして水防法第一七条には単に「水防に従事させることができる」とあるだけで、その従事させる方式につき別段定めておらず、同条及び同法第三四条の規定の精神から見て積極的に水防作業に従事すべく命令した場合は勿論、住民等の水防従事を必要と認めてこれに資器材を提供し、その水防作業を行うことを容認した場合(命令乃至要請であるか、容認にすぎないかは緊急の場合判定に困難なことが多いかも知れない)も又、右にいわゆる水防に従事させた場合に当ると解するのが相当である。

前認定のように本件現場の堤防決潰の危険あるとき附近住民から要請があつた場合水防法第一七条の権限を有する水防管理者(本件では飯田市長)、水防団又は消防機関の長(本件では消防長なる山口又蔵)又はこれ等の者の権限を代理行使すべき任にある職員(本件では前記横田警防部長)は遅滞なく先ずその指揮下にある必要数の職員を現地に派して水防作業に従事させることがその当然の責務なることは勿論である(尤も仮に例えば飯田市の地勢上本件現場の堤防により水害から免れる地域が狭小であつて比較的価値が少く、之を決壊に委することにより他の広大な価値の大なる地域や人命が水害から救われるというような状況にあつたというような場合には本件現場の水防作業をしないことを以て相当とすべき場合もあるべく、このような特別の事情があれば、別であるが本件にあらわれたすべての資料によつてもそのような特別の事情があつたとは認め難い)ところ前認定のように本件現地における水害の危険は切迫していながら水防に従事させる為消防団員を派遣することが不能であつた以上、小栗博をも含めた本件現場附近の住民が消防本部から提供された資器材を使用して水防作業に従事したことは危険防止の為絶対に必要な事態にあつたものと解すべく、即ち横田警防部長が右住民等をして水防に従事させたのは水防法第一七条にいわゆる水防のためやむを得ない必要によつたものと解すべきであり、小栗博が右水防に従事中前記の通り死亡したについては同法第三四条によりその遺族(妻)たる控訴人に於てその補償を受け得るものと解さなければならない。

尚当裁判所が以上説述するところは住民が専ら自発的にのみ水防作業に従事したという即ち水防の純然たる任意労役負担行為を行つたとしているのではないから、いわゆる任意労役負担行為を強制によるそれと同一に取扱つた被控訴人主張の水難救護法第二〇条の存否は本件災害補償の許否に何の関係もない。

然らば被控訴人が控訴人からの本件公務災害補償審査請求について、以上と異る見解に基づきこれを排斥したのは失当であり、之に対しては本件行政訴訟を以てその取消を求め得ることは勿論であるところ、原裁判所も又以上と異る判断を以て本訴請求を排斥したのは不当であるから、民事訴訟法第八九条、第九六条、第三八六条に従い、主文の通り判決した。

(裁判長判事 高井常太郎 判事 満田文彦 判事 中川哲男)

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